北丹波農園より高坂鶏、高坂ポーク、高坂Jr.、高坂卵をご案内いたします。

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丹波の山間を走り回る、フランス・ブレス産にも負けない鶏
高坂鶏(兵庫県篠山市)
追跡可能性を意味する「トレーサビリティ」は、食品の生産履歴と訳されています。 新連載『駱駝流トレ-サビリティ』は、高品質の農産物づくりに取り組む人々を訪ね、おいしさの背景にある考えや情熱、たどり着いた技法を追いかける、読む食材の履歴書です。
取材・文/かくま つとむ
 高坂英樹さんとの出会いを訊ねると、京都・祇園にある『キャレド・ミュー』の馬淵誠総料理長は、昨日のことのように語った。「スローフード協会の講演会でした。高坂さんはこんな発言をしたんです。有機農業を思想化して語る人もおるけれど、それは違う。技術の一つだと。野菜も鶏も大事なのは土。宮沢賢治が石灰工場に勤めたのも土の研究のためやというんです。面白い人やなあと農場を訪ねたんですよ。そう、4年前。そこで御馳走になったのが鶏です。驚きました。塩と胡椒を振り炭火で焼いただけなんですが、これ、本当に鶏?という感じ。噛んでいる間、ずっと旨みがにじみ出る。フランスのブレス鶏どころの味ではありませんでした。」
ブレスに勝る鶏は日本では無理。この言葉が実業家魂に火をつけた
 兵庫県篠山市。谷沿いの小さな集落に、高坂英樹さんの北丹波農園がある。網で囲われたサッカーグラウンドほどの広場では、褐色の鶏たちが自由に飛び歩いている。  高坂さんは、新規就農者。ここへ来るまでは、阪神地区でカラオケ店やレストランなどを手がける、いわゆる青年実業家だった。

 農業に目覚めたのは、大阪でイタリアンレストランを開業したとき。「禁煙で、野菜中心のメニュー。そういう戦略にしたら女性客がたくさん来ましてね。玄米や有機野菜を使ってみると、また、話題になった。」  これからは有機農業を知ることもビジネスの教養だと、専門書をむさぼり読んだ。そのうち、自分も農業をしたいという思いに駆られ始めた。生まれは北海道。子供のころ、大自然の中で遊んだ記憶も夢を後押しした。

 有機野菜の世界では著名といわれる人たちを各地で訪ねてみたが、いずれも自分がやってみたい農業の姿とは違っていた。

 「有機農業は生き方だ。正しい事をしているのだから、食えなくてもがまんすべきという空気がありまして。違いますね。農業も事業。取り組む以上は高い目標を設定すべき。」

 すべての店を売却し、業としての農業に取り組むべく移住したのは6年前のこと。まず野菜を育てた。量こそ少なかったものの、味は自慢できるものが採れた。鶏を飼い始めたきっかけは、あるフランス料理のシェフの一言がきっかけだった。

 「味のいい野菜は日本でも作れても、鶏はブレス鶏にはかなわないよ」

 ブレス鶏とは、フランス中東部のブレス地方で飼われてきた地鶏。AOCという権威ある食品品質保証制度に選ばれている唯一の鶏で、品種、飼料、飼育環境、処理の方法まで厳格な基準が定められている。『美味礼賛』で知られる19世紀の食通、ブリア・サヴァランも「断然ブレツス産が第一」と称賛している。

 日本では旨い鶏はできない。暗にそう言われたことが、元・実業家のナショナリズムに火をつけた。 「ところがいきなり詐欺に引っ掛かりまして(笑)。鶏を飼おうとしている話をどこからか聞いて、専門家と名乗る男が来たんです。君のやろうとしている養鶏は素晴らしい。商売抜きで応援しようと。届いた20羽の鶏は卵を産まない廃鶏でした」しかし、転んでもただでは起きない性格。その20羽を原野に話した。「どんな外敵がいるか確かめたんです。狐、狸、イタチ、オコジョ、鷹、蛇…。もう“野生の王国”状態でした。日本でもなぜ自然放牧型の養鶏が広がらないかわかりましたよ」  次に研究したのは排泄物処理だ。自然分解式が最適と考えたが、バランスが非常に難しい。面積当たりの羽数だけでなく、土質や水はけなど様々な要因が関わる。

 「菌にたどりつきました。菌にいかに機嫌よく働いてもらうかということ。土中菌だけでなく、鶏の腸内に住んでいる菌も大事。鶏が喜ぶエサではなく、体内菌が喜ぶエサという視点が必要だと考えました。」 餌はマイロという穀類と大麦を煮たものに、パンを発酵させたもの。これに、独自の香辛料を加える。味の向上というより体内菌の働きを促進させる“薬膳”だ。出る糞は水っぽいが、これが本来の鶏の糞の姿で、すぐに土地に浸透するため分解が早い。

 計3つの区画で4000羽が放し飼いされているが、養鶏場でおなじみの、あの刺激臭はない。つきものである蠅も飛んでいない。

 「野鶏みたいなものだから、虫なんて見つかったら最後、寄ってたかって食べられてしまいます」  北丹波農園の鶏たちは、まるで幼稚園児のようだった。1羽が何かを発見すると、そっと隠そうとする。その表情を目ざとく見つけた仲間が、横取りしようと追いかける。1羽が2羽、2羽が4羽になり、いつの間にかラグビーのような集団疾走に。

 ゲームに飽きると、またばらばらになって虫を探しに歩いたり、羽をだらりと下げて日光浴をする。人に飼われているというイメージがない。
自然児として育てた自分の鶏を、丹念な手作業で1羽ずつ処理をする。
10km先の大規模養鶏場で鳥インフルエンザが問題になった時も、高坂さんには大丈夫という確信があった。鶏自身の抵抗力を高めることがよい鶏を育てる基本と考え、澄んだ空気の中で、雛のうちからワクチンなしで育て上げた自然児だからだ。保健所職員が血液検査に来たが、1羽捕まえるのに1時間格闘した。高坂鶏とはそういう鶏なのである。

 品種は地鶏系の交配種だが、固定はしていない。まだ研究の余地はあるということと、どんな品種でも旨いといわせたいという思いがある。注文を受けると、高坂さんは1羽ずつ手で羽や腸を抜くハンドピッキングという方法で処理をする。食鳥加工現場では常識の湯通しもしない、 「その分羽は抜きにくくなりますが、皮が熱で傷まないので品質を長く保てます。手作業だと鶏のコンディションもよくわかるんですよ。ストレスを少しでも抱えていると羽がきれいに抜けにくいとか、腸が柔らかすぎて切れやすいとか」

 供給できる数は月100羽が限界。使いたい、食べたいという人は増えているが、応じられる状況にはない。「いずれ解決します。品薄感を自慢するのは恥。だって、事業としては明らかに問題でしょう?」 高坂さんの目が、眼鏡の奥でにやりと笑ったように見えた。