北丹波農園より高坂鶏、高坂ポーク、高坂Jr.、高坂卵をご案内いたします。

取材一覧

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「農」に挑み「真の豊かさ」を創造する男たち
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野菜を作るシェフ

 一流ホテルのシェフが自ら野菜を作っているという話を聞いた。 NHKの人気番組「今日の料理」の講師、TX系全国ネット「フランス料理コンテスト」で優勝するなどTVでもお馴染みの顔だという。
 佐藤伸二氏、株式会社ジェイアール西日本ホテル開発の執行役員調理部長がその人である。現在はJR西日本ホテルズ・ホテルグランヴィア京都を本拠とし、レストラン、婚礼、宴会など同ホテルの料理部門すべての指揮をとっている。
 ホテルグランヴィアはいま、料理界の注目を大いに集めている。「ピエールテタンジェ」や「エスコフィエ」といったフランス料理の権威あるコンテストに若手を送り出し入賞。また、料理や調理技術を科学的に検証し、クラシカルなテクニックに最先端の技術を融合させる目的で「調理企画室」という新しいセクションを設けるなど食文化の発展に貢献している。佐藤氏はその仕掛け人であり、グランヴィアブランドの牽引役でもある。
 佐藤氏の上司は代表取締役社長・木部義人氏。木部氏は国鉄の分割民営化以降、西日本キオスクなど鉄道関連事業の幹部を歴任する。1999年にグランヴィア大阪の社長に着任した木部氏は、まず社長室の扉を開放した。 社員一人ひとりとの直接の会話を大切にし、現場の声を吸い上げようと考えていたからだ。着任間際の木部氏に佐藤氏は、自らの思いを綴った意見書を提出するのだが、そこには彼が現在行っている事業の原型を見ることができる。 社長の笑顔にいつも背中を押されている、と佐藤氏は言う。
 佐藤氏は1956年大阪府に生まれる。府立高校を卒業する75年、社団法人クラブ関西に入社、料理人としてのスタートを切る。91年に株式会社大阪ターミナルホテル(現在のホテルグランヴィア大阪)に転籍、半年後にシェフに就任する。

ホテルは非日常を売るところ

「君の料理はこんなものか」。シェフになって間もないころに言われた、料理評論家・見田盛夫氏の辛辣な言葉を佐藤氏は今も忘れることが出来ない。
「全く腹は立たなかったですね。むしろ潔く叱られようじゃないかという気持ちでした。ホテルは非日常を売るところでしょう。ここでしか食べられない、手作りでしかも自分達にしかできない料理を作りたいといつも考えていましたからね」  通常ホテルでは原価率が予め設定されており、食材は購買部を通して卸業社に発注される。コストパフォーマンスだけが食材を選択する基準となる。
 また、当時レストラン業界ではセントラルキッチンを積極的に作る傾向にあった。食材は工場のような施設の中でカットしたりボイルしたりされ、下ごしらえされた状態でそれぞれの厨房へ送られる。食材というよりもむしろ部品、料理人の仕事は “組み立て作業”へと矮小化される。佐藤のジレンマもそんなところにあった。
 佐藤は社長に直談判した。アイデンティティーとブランド力の強化を料理に求めるべきである、と熱く語った。社長は快諾した。そして、購買や経理など仕入れに絡む関係部署に根回しをしてくれた。当時の社長は佐藤龍太郎。故・佐藤栄作元内閣総理大臣の長男である。
 やがて佐藤氏を売り出すプロジェクト「美食会・シェフの日」がスタートする。彼の仕事は先ず生産者を廻ることであった。「美食会・シェフの日」のコンセプトはシェフが各地を行脚し見つけた秀逸な食材を料理するというものだ。
 兵庫県明石市の漁業協同組合を訪ねたときのこと。新鮮な鯛を水だけで煮てほんの少しだけ醤油を加えたものを出された。料理というよりも素材そのものである。佐藤は衝撃を覚えた。理屈ぬきに旨いのである。
 自分たちの仕事は自然の恵みに少しだけ手を加えその力を引き出すこと。産地に赴き食材のことをもっと勉強しよう。生産者、そして自然に感謝しよう。 美食会で佐藤氏は、食材の話、生産者との交わり、風土や人情など大いに語った。一皿の料理の向こうに見える、インサイドストーリーまで含めて自分の作品と考えていたのだ。「美食会・シェフの日」は瞬く間に人気を呼び佐藤は多くのファンを得ることとなる。

高坂英樹氏との出会い

2002年9月、佐藤は発足したばかりの「スローフード関西」という団体に理事として招かれる。そのころ彼は食材を知る真のプロとして評価され注目されていた。招聘された理事はみな斯界の権威であり、その一人、高坂英樹氏と初めての理事会で挨拶を交わす。
「あなたは全国を回り、生産者や野菜のことなど何でも知っているような顔をしているがとんでもない。農業のことは何もわかっていない。あなたが詳しいのは食材のことだけです。事実あなたに野菜を作れますか」
初対面の相手に失礼な奴だと思いつつも、佐藤氏は高坂氏の話に耳を傾けた。歯に絹を着せない物言いは不遜とも思えるが、挑発の裏にある真意に興味を覚えたからだ。
 高坂氏は北丹波に農園を経営し優秀な鶏と野菜を作る生産者である。もともとはレンタルビデオやレストランなど店舗経営を行う都市生活者であった高坂氏は、あるとき順風満帆の事業から手を引き、全資産を投入して北丹波に新規就農する。その後わずか2年でプロからも高い評価を得る鶏の開発に成功した。 高坂の鶏は「高坂鶏」というブランドで東京でも人気がある。
「日本の食物自給率は30パーセント台です。効率だけを重視し生産を海外に依存した結果です。しかし農業の価値を経済や効率だけで測ることはできません。美しい田園風景が日本人の心に与える影響、水田や疎水が環境に与える価値などトータルで考えていかなければならない。日本の元気は地方から、農業を元気にすることで日本に活力を取り戻したい」
 高坂氏は、とある月刊誌の取材で新規就農した理由をこのように述べている。農園を経営する傍らでNPO法人「がんばれ農業人」を主宰している。同NPOは高坂氏の友人でプレジデント社のOB・神山光路を代表理事に、農業の活性化を目的にスタートした。例えば、就農人口の減少と休耕田の増加は大きな問題だが、高坂氏は、慣行農業を捨て、付加価値の高い農作物を作り、ダイレクトに市場を開拓することを推奨する。
 そのためには技術や資金力が必要となるが、NPOには情報や技術を集める受信装置、行政や企業とコラボレーションする主体、そして広報や宣伝など情報発信装置としての機能を持たせている。個人レベルでは解決しづらい問題を組織的に解決していくことが「がんばれ農業人」のミッションだという。
 高坂氏の週末は多忙だ。農業関係、食品会社、プロの料理人など幅広い訪問客が関西圏のみならず東京からもやってくる。彼は野菜作りのノウハウや技術などを惜しみなく公開している。 もちろん「高坂鶏」もである。それは自分に続く生産者が現れ、優秀な食材もっとたくさん生産できるようにしたい、日本の食文化を本当の意味で豊かにしたい、という思いからだ。

日本の食を豊かにする挑戦

 この出会いを機に佐藤氏と高坂氏は親交を深めることになる。いま日本の食と食文化は危機的な状況にある。食の問題は数多い社会の矛盾を内包している。農業や環境問題にもつながる。日本の食を救うのは料理人、というのが高坂氏の持論だ。
「フジテレビの人気番組『料理の鉄人』の影響でしょうか、料理人のポジションは確実にアップしました。食べることに加え、料理人の技を見せることでエンターテインメントとしての完成度が増したからだと思います。これに食材の背景にある地域や生産者を合わせて見せたらきっと面白くなる。農業の問題を変に真面目に大上段から説くよりも受け入れられやすい」
 現在、二人はとあるプロジェクトを計画している。題して「拍手喝采!ニッポン食堂」。イベントには、生産者、料理人、加工業者、食品メーカが一同に会す。彼らの蓄積である「智恵」や「技」、そして最新の「テクノロジー」や「イノベーション」を結集し一皿の料理を完成させる。「技」にスポットライトを当てることで、日本の食、そして食文化にもっと誇りを持とう、という試みだ。参加する人々には、生産の現場をはじめとする食のドラマやストーリー に興味を持ってもらいたいと考えている。佐藤氏はこのプランを木部氏に伝えた。
「何でもやってみようじゃないか」
社長のいつもの口癖に佐藤氏は、自分が作った野菜で料理を作ろうと意気込んでいる。

文:勝本俊朗

2005年11月22日